第1回研究会報告

日時:2012年10月27日(土)14:00〜18:00
場所:東京国際大学第1キャンパス金子泰蔵記念図書館4階L411教室


発表概要
1.「陽明学者、李卓吾(1527〜1602)―日本の外来宗教受容とイスラームの検討の中で―」
発表者:四戸潤弥(同志社大学神学部・神学研究科教授)

要旨:
発表者は、イスラームを日本の仏教、キリスト教の外来宗教受容と伝来(公的(中央、地方)権力が日本人の信仰する宗教として承認すること)の系譜の流れと、中国明王朝末期の外来勢力に対する攘夷思想が日本に与えた影響に注目し、東アジア儒教文化圏(中国、韓国、台湾)でのイスラーム受容との関係で検討してきた。日本の外来宗教伝来が積極的側面として、1)国際社会における外交的地位の向上(遣隋使、遣唐使の受け入れ)、2)外国文化と技術の移入(統治技術、建築技術、土木技術など)、消極的側面として1)国内宗教政治勢力の台頭、2)国内、国外安全保障の危機を齎した。またキリスト教禁令は240年後の西洋列強国との治外法権などの不平等条約の原因となった。

並行する形で過去数年、中国、韓国、台湾のイスラームとキリスト教受容事情のフィールド調査を行ってきた。 その過程で、徳川幕府の対外外交に参与していた昌平黌の儒者たちの対キリスト教、及びイスラーム認識である安全保障を背景とした破邪論資料を検討する中で、明代末期の陽明学左派の思想家李卓吾に注目する機会を得た。李卓吾は中国ばかりでなく、日本でも評価の高い思想家であるが、なかでも、前記の昌平黌教官安積艮斎に師事した吉田松陰が獄中で李卓吾の『焚書』に感激したことを知ると同時に、李卓吾がイスラーム教徒らしいとの記載を知り興味を持った。彼の著作を探る中で、李卓吾がイスラーム教徒であることを確定する「遺書」に出会った。そこに述べられている葬儀作法はイスラーム教徒のそれであり、多くの推測がなされる中、李卓吾の社会的所属としての宗教がイスラームであることが確定できた。

しかし彼の著作を通じて知られる思想からイスラーム性を抽出する試みを行った論文があるが、彼の思想の現代性を指摘するものの、それがイスラームであるかの確定はできないものであった。そこで指摘される現代性は「個」との強い関連性である。しかし、この個は西洋近代における個ではなく、商業経済取引が個と個を基本型とするが故の個であった。そこで展開される夫婦論もそうした枠を出ることなく商業経済と強い関連をもつものであった。

そのような中、溝口雄三氏による李卓吾と吉田松陰の「童心」理解の比較に関心を持った。その理由は、同氏の童心を焦点とすることで、イスラームの人間観としてムカッラフ(能力者)信仰と童心を比較することなどが可能となるからである。イスラームの人間規定は理想の人間の規定ではなく、ありのままの人間があって、同時に聖なるものを希求するという一個の個体の中に聖俗の常駐を認める人間観であり、イスラーム信仰はその人間がムカッラフ(能力者)となって、理性により聖なるもの(ここでは道)を追求すると規定される。吉田松陰はここに、似て非なるものを見つけたのだが、いずれにしろ、ムカッラフ概念を通じたイスラーム性の抽出を行うことは、イスラームとほぼ同じ歴史を持つ中国イスラーム研究の一つの手法であるように思える。

さらに李卓吾の思想からイスラーム的なものを抽出し、日本人が感応するイスラーム的なものを明確にすることは、日本のイスラーム受容の過去の歴史と今後の研究に新しい方法を提示することになるのではないかと思うところである。


2.A「イスラームの生命倫理における初期胚の問題」B「オックスフォード、ロンドンにおけるアラビア語写本の資料収集について」
発表者:青柳かおる(新潟大学人文学部准教授)

要旨:
A「イスラームの生命倫理における初期胚の問題」
発表者は、これまでガザーリー(1111年没)を中心とする古典時代のイスラーム思想史研究を行ってきたが、古典時代と現代が結びつく研究を目指して、出産や初期胚に関わる生命倫理の問題を取り上げた。

(はじめに)ガザーリー「婚姻作法の書」について
ガザーリーの「婚姻作法の書」は、『宗教諸学の再興』の第12番目の書である。この書は女性、性、家族計画に関する記述が多いため、性交中断(避妊)、中絶、女性の隔離、ヴェールなどの問題で、しばしば現代のウラマー(法学者)や研究者によって引用されており、古典時代の書であるが、現代でも議論の根拠となっている。

(1)イスラームにおける胚の形成過程
クルアーンによれば、胚は、土の精髄、凝血、肉塊など七つの段階を経て人間へと成長し、霊魂が吹き込まれるという。さらに、入魂の時期について120日目とするハディースがあるため、多くのウラマーは霊魂が吹き込まれる前は肉塊であり、120日を境にして胚は人間になるとする。イブン・スィーナーの『医学典範』、ガザーリーの「婚姻作法の書」によれば、男性の精液と女性の月経が混ざり合って固まり、胚が子宮内に形成される。実際の胚の形成過程は、精子が卵子に侵入すると受精卵ができ、受精卵は細胞分裂を繰り返しながら胚盤胞、胚芽、胎児へと成長する。

(2)イスラームにおける避妊、中絶―古典時代と現代―
避妊については、避妊を認める複数のハディースが存在する。またガザーリーは、性交中断(避妊)をめぐるウラマーの4種類の見解を挙げ、性交中断は、中絶や嬰児殺しとは異なるため、許容されるとしている。一方、中絶については、避妊と違ってすでに存在するものに対する犯罪であり、非合法としているが、これ以上詳しくは論じていない。

現代の歴代のアズハル機構総長たちは、ガザーリーの見解を引用しながら、反論したり、自説を補強したりしている。マフムード・シャルトゥートはガザーリーを非難し、避妊に反対している。アブドゥル=ハリーム・マフムードも否定的な立場である。しかし人口爆発の続いたエジプトでは、しだいにガザーリーの避妊を可とする見解が支持されていくようになっていく。ガード・アルハック・アリー・ガード・アルハックはガザーリーの説を引用し、結論として避妊は可とするファトワーを出している。

またカラダーウィーも、『イスラームにおける合法と非合法』においてガザーリーを引用し、「避妊は合法、中絶は妊娠初期から非合法」とする議論に賛成するとして、正当な理由があれば避妊による家族計画は許容されるとする。中絶については、120日より後の中絶は母体の命を守るため以外は禁止とし、 120日以前の中絶については、ファトワーによると、しだいに許可の程度は低くなるとしながらも、正当な理由があれば認めている。

(3)イスラームにおけるES細胞
ES細胞(Embryonic Stem Cell)とは、廃棄される予定の余剰受精卵(胚盤胞)の内細胞塊から作られる未分化の胚性幹細胞のことである。再生医療のために研究が進められている が、免疫の問題のほか、子宮に戻せば人間になるかもしれない初期胚の破壊という倫理的な問題を抱えている。これに対し、iPS細胞(induced Pluripotent Stem Cell)は、成人の細胞を初期化して作られる人工多能性幹細胞のことである。

初期胚に関わるES細胞について、アメリカ政府の生命倫理諮問委員会(NBAC: National Bioethics Advisory Commission)刊行の報告書『胚性幹細胞研究の倫理問題(Ethical Issues in Human Stem Cell Research)』第3集「宗教的視座」(2000年)(http://bioethics.georgetown.edu/nbac/stemcell3.pdf <外部リンク>)を検討した。

この報告書では、イスラームの見解として、ヴァージニア大学教授(宗教学)でシーア派ムスリムのサチェディーナのレポートが掲載されている。サチェディーナは、クルアーン、ハディースを引用しながら、すべての法学派は、胚の尊厳が認められるのは120日以降であることに同意しているとしている。イスラームでは、ES細胞の作成の議論においても、中絶の議論と同様に、入魂に関するハディースが持ち出され、大多数の見解では、再生医療に使用するためならば受精卵を破壊し、ES細胞研究を行うことは許可されるという結論に至っているといえよう。なお、サチェディーナのようなウラマーではない知識人の見解が、ウラマーや医療関係者にどの程度の影響力があるのかについては今後の課題である。

(4)ユダヤ教、キリスト教におけるES細胞
さらにこの報告書に基づき、ユダヤ教とキリスト教についても分析した。3名のユダヤ教の研究者および聖職者は、胚は妊娠40日までは水のようなものであり、法的地位を持たない。従って、ES細胞は幹細胞研究に利用できるとしている。6名のキリスト教の研究者および聖職者のうち、1名のプロテスタントのリベラル派は、胚には人格は認められないとしてES細胞研究推進に積極的であり、1名のカトリックのフェミニストは賛否両論あるという立場である。しかし4 名(カトリック、ギリシア正教会、プロテスタント)は受精した瞬間から胚は人格を持つとして反対の立場をとっている。キリスト教は、中絶が許される時期について新約聖書にはっきりした根拠がないため、『十二使徒の教訓』、各時代の教父や神学者、ローマ法王の回勅に基づき、ES細胞の樹立およびその研究にはおおむね反対の立場といえる。

三つの一神教を比較すれば、イスラームは、ES細胞の樹立と研究を認め、聖典に依拠して初期胚が人間とみなされるおおよその時期を定めている点、また利益と損失を比較して病気の治療を優先する点がユダヤ教と共通しているといえよう。


B「オックスフォード、ロンドンにおけるアラビア語写本の資料収集について」
発表者は、2012年8月から9月にかけて、オックスフォード(ボードリアン・ライブラリー)とロンドン(大英図書館、ウェルカム・ライブラリー)において、アラビア語の写本および二次文献の閲覧、収集を行った。本発表では、それぞれの図書館の入館方法や閲覧方法について報告した。


@オックスフォード大学、ボードリアン・ライブラリー(Bodleian Libraries)
ボードリアン・ライブラリーのホームページ(http://www.bodleian.ox.ac.uk/bodley/services/admissions <外部リンク>)から、Form A, Form Bをダウンロードし、記入しておく。また所属機関から英語の身分証明書を発行してもらう。パスポートも持参して、オールド・ボードリアン・ライブラリーの隣の、クラレンドン・ビルディングにて入館手続きを行う。

Aオールド・ボードリアン・ライブラリー(Old Bodleian Library)は、中庭を囲む形の巨大な総合図書館図書館(開架)で、すべての分野の刊本が揃っている。その隣にラドクリフ・カメラ (Radcliffe Camera)という開架図書館があるが、現在、本棚に本はない状態であった。

Bアラビア語の写本(アラビア語だけではなく他の言語の多くの写本)は、オールド・ボードリアン・ライブラリーから徒歩5分くらいの場所にあるラドクリフ科学図書館(Radcliffe Science Library)の地下一階の写本閲覧室で閲覧する。まず受付にある緑色の請求用紙に、名前、入館証の番号、写本番号を記入して、受付の箱に入れる。写本番号は日本で調べておいたほうがよいが、その場でもパソコン(Fihristというデータベース)や写本カタログがあるので調べられる。撮影許可申請書に、写本番号、撮影するフォリオなどを記入し、フラッシュをたかない、音を消すという条件でデジタル・カメラによる写本の撮影は可能である。パソコンは持ち込み可で、LANケーブルがあればインターネットもできる。

http://www.bodleian.ox.ac.uk/about/projects/new_bodleian(外部リンク)によると、写本は、2015年にウェストン・ライブラリー(Weston Library)として完成予定のニュー・ボードリアン・ライブラリー(New Bodleian Library)に所蔵されるようである。場所は、クラレンドン・ビルディングの隣で、現在工事中である。

Cロンドンの大英図書館(British Library)
一階の入館証の登録をする部屋(Reader Registration on the Upper Ground Floor)に行き、面接、パソコン入力、写真撮影をする。大英図書館は住所確認が厳格で、ホームページでは、英語で住所が印字してある書類(銀行の残高証明書など)が挙げられているが、実際には日本語の運転免許のほうが確実なようである。(日本人のスタッフがいるか確認しておくとよい。)さらにパスポート、所属機関の英語の身分証明書が必要で、アカデミック・スタッフの場合、3年間の入館証(もしくはもしくは一週間の暫定カード)を作ってくれる。

二次文献などの刊本は、人文系閲覧室(Humanities Reading Room)などでも閲覧可能だが、アラビア語写本は3階のアジア・アフリカ研究閲覧室(Asian and African Studies Reading Room)のみで閲覧可。刊本も写本もパソコンで請求するが、難しいので最初は図書館員にやってもらうほうがよい。請求記号は日本で調べておいたほうがよいが、その場でも開架の棚にある写本カタログを見ることができる。デジカメ撮影は不可なので、コピーを頼む。貴重書は閲覧不可だが、インターネットで公開している写本もある。

Dウェルカム・ライブラリー(Wellcome Library)
古今東西の医学に関する図書館である。場所は、大英図書館から徒歩10分ほどのユーストン・スクエア駅の近くである。パスポートがあれば1年の入館証を作ってくれる。図書館内のパソコンで請求記号を調べられる。刊本は開架、写本は書庫にある。イブン・スィーナーなどのアラビア語写本の一部は、データベース化され、インターネットで閲覧可能である。

Eロンドン大学、SOAS(School of Oriental and African Studies)の図書館
大英博物館の近くにある刊本中心の開架図書館である。日本にない貴重な刊本や雑誌があり、自分でコピーを取ることができる。


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